列聖90年 聖マリア・ミカエラ列聖式 教皇ピオ11世の説教
聖マリア・ミカエラ列聖式 教皇ピオ11世の説教 1934年3月4日
敬愛する兄弟姉妹のみなさま、
この選ばれた修道女、聖マリア・ミカエラのその一生の輝かしい事跡の前わたしはただ、
頭を下げるばかりです。彼女の徳のうちで最も光を放つもの、その心を飾ったものは次の二つでありました。一つは疲れることもくじけることもなかった剛毅、もう一つは燃えるような愛徳でした。その剛毅によって彼女は生まれつきの強く激しい性格を、根気強く、注意深く抑制し、優しく穏やかな人物となったばかりでなく、あらゆる困難に勇気をもって打ち勝ち、何の躊躇もなく神の栄光のため、努力を惜しまなかったのです。また愛徳については誤った道に誘われた少女たちを正しい道に連れもどし、迷った羊を檻に返しました。その事業に全身をささげ尽くし、失意の人々を助け、悲惨な生活に苦しむ人に慰めを与えました。
彼女は貴族の家に生まれ、裕福な家庭に育ちました。しかし名誉ある結婚にも心を向けず、世の輝きにも目を留めず、ただひたむきに人々の救いのために生き抜きました。また、天与の豊かな賜物、両親から受け継いだ優れた才能と多くの財産の全部を心から、喜びをもって病者に分け与えたのでした。イエスのみ名の祝日にあるとおり「主が訪れた時、光に照らされた彼女は世のはかなさを悟り、その心は愛に燃えたのです。」
不幸な人々、嫌悪が先立つどのような病人も彼女は決して拒まなかったのです。時には悲惨のどん底にあえぐ者の奉仕に彼女の心は喜びに溢れました。その中にイエスの姿を見たからです。また、スラム街を訪ねることは彼女にとってはこの上ない喜びでした。不足な物品を与えるだけではなく、人々を真理の光へと導いたのです。自分の食物を飢える人々に与え、
病人を見舞い、らい病の人の世話をしました。
神の聖ヨハネ病院を訪問したときのことでした。そこには誰も近づくことができないらい病の女性がいました。誰もベッドをなおしてやらず、1か月も放り出されていました。ミカエラはすぐに近づきました。そして生みの母の愛でその病人を抱擁し、傷の手当をしました。そのような世話は誰にもできないものでした。
それだけではありません。聖女の熱望は人類を害する「悪」を絶やすことにあったのです。そのために全身全霊を捧げました。若い女性の尊厳を傷つける男性の餌食になろうとしていた不幸な女性のために徹底的に働きました。
愛する兄弟姉妹のみなさん、そのセンターの起源を簡単に話すことを許してください。
それは新しい事業でした。道を踏み迷った少女たちを受け入れ、彼女らが罪をつぐない、行いを改め、徳の実行に導かれて、回心し、善きキリスト者として社会に復帰できるようにさせたのです。
それは絶賛すべき使徒的事業でした。彼女は修道会を創立し、これにその事業を引き渡したのです。その独特の福祉施設を継承する修道女らのため、聖体の永続礼拝を設立し、そこから必要なエネルギーを汲み取り、聖体の前での心からの祈りで困難を克服し、事業が存続するようにしました。
しかし、ざん言はたえませんでした。敵は悪い企てをし何回となく事業を陥れようとしました。どうしてもこの事業を妨害し、不成功に終わるようにと悪い人々に仕打ちはひどいものでした。
しかし、この聖なる婦人は耐え忍び、乗り越えました。勇敢に力強く、神と隣人を愛し、絶えず祈り続けたので、神は彼女を助けられました。
彼女は多種多様の危険と苦悩に見舞われました。その晩年はひどいものでした。嫉妬や偽善の犠牲となり、善人までが彼女への信用を失い、援助を拒みました。見捨てられた聖女は聖体の前でひざまずき、涙を流し泣きながら、聖パウロの言葉を心にとめて祈りました。「生も死も、天使も支配者も、現在のもの未来のもの、力あるもの、高いもの、低いもの、その他どんな被造物もわたしたちのキリストにおける神の愛からわたしを引き離すことはできません」。
この選ばれた婦人の心には、一生を通して愛の炎が特別に光輝き燃えていました。その愛は彼女を死まで追い込み、その熱烈な火は彼女を焼き尽くしました。恐ろしい疫病コレラがバレンシアの街を荒らし、彼女の修道院もそのえじきになろうとしていた時、彼女はただちに馳せつけ、修道女たちを助け慰めました。かいがいしく病人の世話をし、看病に自分を顧みなかった彼女はコレラに感染し、愛徳の犠牲となって命を落としました。
ああ、敬虔な死、
愛する兄弟姉妹のみなさん、聖マリア・ミカエラは純潔な白百合と愛徳の真紅のバラの冠をつけてこの世を去り、天国の幸いに入りました。あのように多くの危険に遭遇した彼女は忍耐強く戦い、苦難をなめ尽くした後、この世を去ったのです。
願わくばこの新しき聖女の取次ぎにより、今日、この荘厳な列聖式という美しき実りを目の前に、わたしたちの願いをかなえてください。彼女の取次ぎによって、わたしたちが一生カトリックの信仰に生き抜き、ある日神の御まなざしのもとにもっとも美しい死を遂げることができますようにしてください。わたしたちの主イエス・キリストのよって、アーメン」。